藤田ニコル
ロシアとポーランド人のハーフの父と
日本人の母の間に生まれた
生まれた場所はニュージーランド
3歳の時に両親が離婚
母と埼玉で暮らす
貧乏で
家にエアコンがなく
夏はクーラーではなく
汗だくで扇風機で過ごした
冬は家で厚着をした
それが当たり前だった
モデルを目指すきっかけとなる
運命の出来事が
それは
ニコルと名前が似ている
ニコラという雑誌を母が見つけた
雑誌はローティーン向けのファッション誌だった
ニコルは
専属モデルを募集しているというページを見つけた
小学校3〜4年生頃から
自分にできることはないかな
お母さんの力になりたい
と思った
これなら自分でできるかなと
すぐさま応募したが
書類選考で落ちて
それが悔しくてポージングを研究したり
こんな雑誌のこのポーズ可愛いと思ったり
自分で前髪を切ったり
モデルになりたいという一心で雑誌を研究
毎日メークの勉強もした
1年後に再び専属モデルに応募
その結果はみごと
1万4,000人の中のグランプリになった
小学校6年生でモデルデビュー
しかし
モデル業界はそんなに甘くはなかった
そもそも
ニコラは清楚系モデルが主流のファッション誌で
ハーフ顔のニコラは雑誌のコンセプトにはまらず
人気もイマイチだった
さらに
当時通っていた中学校でも
中学校の時にモデルをやっている人はめったにいなかった為
あれがモデルかよとか
くっさ
とか言われたり
廊下を通っている時に悪口を言われた
暗黒の日々だった
そんな
辛い時期を支えてくれたのは母だった
母には心配をかけたくない
モデルで結果を出そうと決意
誰もが想像もつかなかった作戦にでた
清純派雑誌なのにつけまつ毛
清純派雑誌なのにカラコン
盛り顔メーク
コンセプトにとらわれず
自分らしさを前面に押し出した
これが読者にうけ
ニコラはニコルの
トップモデルとなった
その後
お馬鹿なキャラが大人気となり
人気者になった
今でも
給料はお母さんに預けている。
今後の目標は?
お父さんと英語で話すこと!
お父さんとは3年に1度ぐらい日本に来て話すが
英語なのでちゃんと話したことがない
なので
英語を勉強したい。
素晴らしい
C.Wニコル並みに人生経験豊富だね。